【世界の3大バブル経済】について調べてみた

2017/07/24 投資

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「あの頃は良かったな~~~。」

 

「タクシー何て全く捕まらなかった」

 

「毎晩遊んでた」

 

こんな話を50代、60代の方は

されたことがあるのではないでしょうか。

 

 

そう、バブルです。

 

 

お金があり余り、

株価は38,915円をつけ、

まさに経済が過熱していたあの頃。

 

 

ええ、私は全く知らないです。

もはや歴史ですらあります。

 

明治維新とか、享保の改革とかと並んで、

歴史の教科書に載っていても「へぇ~」と思って

違和感は全然感じないでしょう。

 

 

だからこそ、バブル経済を客観的に見ることができます。

 

 

1980年代後半に起こった日本の

バブル経済は特別なものではなく、

世界中で同じようなことは

起こったことがあるのではないか。

 

そう思って調べてみました。

 

did!

 

ありました。世界3大バブル。

 

 

■チューリップバブル 17世紀 オランダ

 

世界最古の金融バブル!

その対象はチューリップ!

こどものころに歌ったあの歌が耳に流れてきます。

 

なぜチューリップだったのか。

 

当時、チューリップはオランダでは珍しい品種であったこともあり、富裕層の間で人気で、富の象徴として高値で取引されていました。

 

それがいつの間にか市民の間にも広がってバブル経済になるのですが、その理由として、チューリップには、突然変異で模様が変わる、という特徴がありました。

偶然、昨年とは全く違う、とてつもなく綺麗なチューリップが誕生する可能性があったのです。

 

そして、育てるのも難しくなかったため、一般の市民もこぞってチューリップの球根に投資すべく買い求め、高値で取引を始めました。

球根は翌年にならねば花咲かないため、翌年のチューリップを買う権利を取引するという、先物取引の仕組みもこのとき実施されたようです。

 

最高級品質の球根一つは当時のアムステルダムの家一軒より高価だったそうで、市民の中には大金持ちになるものも現れました。

 

ただ、日本のバブル経済と同じく

熱狂的なバブルは弾け、代金の手形は次から次へと債務不履行となり、

オランダ中が大混乱になったそうです。

 

 

 

南海泡沫事件(なんかいほうまつじけん)18世紀 イギリス

 

1711年に設立された「The South Sea Company」(南海会社)という会社。

国はそれまで不況に陥っていたイギリス経済を立て直す為に、この会社に国債を一部負担させ、その間に奴隷貿易で儲けて立て直そうと動いていたのですが、貿易はうまくいかず、

会社は倒産の危機に。

しかし、富くじで儲けて何とか復活。

1719年には政府から国債を引き受けさせられた見返りとして、額面等価で交換できる南海会社株の発行が出来る権利をイングランド銀行と競って勝ち取ります。

ただ、勝ち取るために無理をし、多額の上納金が必要となり、困った南海会社は奇策を編み出します。

 

  1. 株と国債の交換は時価で行う。すなわち、南海会社の株価が額面100ポンドにつき市場価格200ポンドの場合、200ポンドの国債1枚と南海会社株100ポンド分で等価交換となる。
  2. しかしながら発行許可株数は交換額に応じている(200ポンド交換した)ので額面200ポンド分の株が発行できる。すなわち、交換しても手元に100ポンド分、時価200ポンド分余ることになる。
  3. これを売りに出すと売り上げの200ポンドはそのまま南海会社の利益となる。
  4. 上記の方法で南海会社の利益があがると、当然株価が上昇する。
  5. 1に戻る。

※wikipediaより引用

 

以上の手順を繰り返すと、無限に株価は上昇し、南海会社は利益をあげ続け、株保有者はみるみる豊かになっていく、これが南海計画でした。

 

投資家は熱を帯び、どんどん株式に投資、株価は半年後に10倍にもなりました。これにつられて、東インド会社などの他の株式も上昇。一躍バブルに。

 

ただ、当時、株式会社の設立は許可制であったにもかかわらず、無許可で設立するものが多くいました。

泡沫会社がたくさんできて資金需給が逼迫することを恐れ、イギリス議会は「泡沫会社禁止法」を制定して,国王の特許状または議会の承認を得ていない会社が株式を発行することを禁止。

少し大きな会社を作るには膨大な費用と時間が要求されるようになりました。

これによって多数の会社が消滅し、投機熱は急激に冷え込み、南海会社によるバブルも終わりを告げました。

 

 

 

■ミシシッピバブル フランス 18世紀

 

1710年代、

当時のフランスは戦争や王族の

浪費などで大変な財政赤字を抱えていました。

有名なルイ14世も関係しています。

 

この赤字を改善するために

ジョン・ローという人物が名乗りを挙げます。

 

ジョン・ローは王立銀行を設立。

金と交換可能な紙幣の発行権を独占しました。

 

政府が紙幣での納税を強制したため、

市民がタンス預金していたお金が市場に出回り、

景気が回復していきました。

 

続いてジョン・ローはミシシッピ会社の経営権を取得。

国中にミシシッピ会社への投資を促しました。

 

これは、市場に出回ったお金をミシシッピ会社に投資させることで、株価を高騰させ、ミシシッピ会社株を使って政府の債務返済をしようとしたためです。

結果、政府の負債の債権者達は、債権や手形でこの株を購入し、1720年には政府の債務は全てミシシッピ会社に移りました。

 

 

しかし、落とし穴が。

 

 

ミシシッピ会社はフランス領北アメリカの開発等を担う会社で、

本国から遠く離れたところで事業を行っており、

実は利益はほとんど出ていませんでした。

 

それをジョン・ローは非常に儲かる会社として喧伝していたため、

利益を一向に産まない会社に不審を持った人たちが、資金を一斉に引き上げはじめた。

ミシシッピ会社株を売却、さらに王立銀行が発行した紙幣を売り払って金・銀貨への交換、

海外に持ち出す等したため、経済は大混乱、バブルは崩壊した。

 

 

過去を振り返ってみると、バブル経済に共通するのは、

やはり人々の「熱狂」なのでしょうか。

 

「チューリップを買えば儲かるらしいぞ」「お前まだ買っていないのか!?」

 

「あの株は明日になれば、倍になっている!今買うしかない!」

 

「こんなに恵まれた会社に安く投資できるなんて、この波に乗らなきゃ後悔する!」

 

 

みんながそう思えばバブル経済になる。

 

バブルがはじけた後には損する人もたくさん出てくるだろうが、

時が経って思い出すのは、はじけた後ではなく、

あの「熱狂」の頃。

 

それは興奮冷めやらぬものなのでしょう。

 

 

歴史として感じていたが、自分も熱狂に浸りたいと思う今日この頃でした。

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この記事を書いた人

編集部
20代・30代・40代の普通の会社員です。「⾃分らしく貯める・ふやす」ヒントや、株・投資信託・iDeCo(イデコ)など「投資」の体験談をお届けしていきます。

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